ついに本場の〝ローエングリン〟を体験しました。

待ちにまった、バイエルン国立歌劇場(〝国立〟とは旧バイエルン王国のこと。現バイエルン州で州立と云うこともあるようです。)が、州都のミュンヘンから総勢400名の大所帯で、日本に引っ越し公演をするのです。
東北大震災や原発不安もあって主役級のソリストの代役などがありましたが、大勢に影響はありません。その公演が実現するだけでも僕にとっては事件なのですから・・

9月25日の日曜の午後の5時間余りNHKホールは僕を宇宙のかなたに誘いました。
オケ・ピットから地響きとともに空気を揺るがす大音響、一糸乱れぬ弦楽のアンサンブル、そしてワグナー管楽器の四方から攻めてくる華麗な響きに僕は打ちのめされました。さらに、さらに特筆すべきことは、合唱団です。決して手抜きをしないドイツ人魂を感じさせます。ワグナー・オペラの見どころ聴かせどころは合唱にあり、オケと同様の役割があるように思います。男声・女声の迫力と綺麗なハーモニーは絶品でした。そして実力者揃いの歌手陣と、どのパーツも一級品で、濁りのない研ぎ澄まされた黄金の牙のように、ワグナー宇宙を演じていました。
ほんとうに、至福のひと時を体験しました。人生とはこのように、今日がこの時間が過ぎていくものなのだという実感でした。スイーツなマロンの様な味わいでした。
そして、何より話題として欠かせないのが、リチャード・ジョーンズの演出です。事前情報は入手していましたが、何とも微笑ましい、そして物語性があり美しく見事に構成された演出だと思いました。このオペラの物語は日本の〝鶴の恩返し〟に良く似ています。伝説としてロマンチックなメルヘンの世界です。そこをジョーンズはエルザと白鳥の騎士の結婚とマイホームづくりに設定しました。ほんとうに綺麗な舞台(家づくり)が進行していきます。
近年のオペラ上演はその演出によって、時代設定や社会的情勢、演出家の特異な解釈と主張が話題になります。ストーリーとかけ離れたビジュアル表現としての演出などもあるように思います。音楽は時間芸術と言われます。その時、今の体験こそが、音楽なのだと言えます。
しかし、いわゆるクラシック音楽は200年~100年前の作品が主流で、不変の芸術として(演奏によって)伝えられています。だからこそ、総合芸術といわれるオペラは、今の時代と社会を、音楽をベースとして表現しなくてはならない。オペラ上演の宿命なのかもしれません。そんな中で、僕が今回体験したジョーンズの〝ローエングリン〟は、すべてにおいて満足でした。
最後に、歌手陣のなかではオルトルート役の、ワルトラウト・マイヤー(メゾ・ソプラノ)が素晴らしかったです。悪役にもかかわらず、はじめは品格があって、だんだんとその凄みとメリハリの利いた迫力が増して、最後に頂点に達します。機会があったらまた聴きたい歌手の一人です。ヨナス・カウフマンの代役、ローエングリン役のヨハン・ボータ(テノール)も、後半の家が完成する頃になって、声にも調子が出てきたようで、舞台を一気に盛り上げました。

土曜の昼下がり、《すみだトリフォニーホール》でコンサートを体験しました。
ブルックナー、と聞くと何故か身体がビクビク、ワクワク反応します。しかも、今回は第七シンフォニーの前に、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」がプログラムに〜ますます期待が膨らみます。
ワーグナーが妻のコジマの誕生日に、サプライズで、プレゼントしたと云うとてもロマンチックな名曲です。ジークフリートとは二人の間にできた長男の名前です。
そして、ブル7は、勇壮で豪奢な響きが全宇宙を包み込む様な大音響と美しいメロディーで、人気の名曲です。
震災の復興祈念に相応しく、高らかに謳っていました。
何とも豪華な組合せの、ひと時でした。コンサートが終って、スカイツリーもブル7のメロディーを奏でていたようです。

一つの被写体を前にいろいろ考えさせられます。
未曾有の大震災と原発事故に遭遇して、今、日本の時間は止まっています。文明の大きな歯車も、ギシッと音を立てて立ち止まり、このままでは後退りしてしまいそうな、崖っぷちに立たされています。
政治屋さん達のていたらく、それを追いかけ競って報道する人たち、原発廃止を唱える人たち、線量を測る主婦や役人達、皆がそれぞれに色々な思わくで考え、行動している。何の未来の展望が見えない方向に、今日本は彷徨って、浮かれているようにしか見えません。ただ言えることは、実際に実害を受けて必死に明日への一歩を踏み出そうとしている人達が、まだ何も語っていないということ。語っていても聞こえてこない、多くの日本人が聞く耳を持っていないという事。目に見えない何かがそうさせて居るということです。だから、まだ、日本人の多くの人がその人達の心の叫びを聞いていないのです。
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