ー花道。

ー花道。
昭和の名優達を渡して五十八年の、歌舞伎座の花道です。
この「花道」の通行期間もあと数ヶ月となりました。「さようなら公演」も哀しいカウントダウン中です。
ちょっと淋しい「花道」の花道です。

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戯れ−

戯れ−
水と光と橋脚とー

江戸橋から日本橋をのぞむ−。

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昭和の頃⑥ー「写真展」

 何年ぶりかで渋谷を歩いた。午後2時であるがやはり若者が占拠している。

39年前はこの若者の中にボクがいた。18歳の退屈な大学生で、フェンシングの長いバッグを担いで喫茶店、本屋、レコード屋、映画館などと、途中下車によって各スポットに吸い込まれた。当時は、朝も夕も、何処からともなく若者で溢れていた。昭和45年の初夏だった。

そんなこともあったこの町で、先輩のYさんが「写真展」を開いている。Yさんは前の会社で、郵政省定年後に顧問として招聘した方でいろいろ世話になった方である。前任者のNさんの後任でいろいろご助力いただいたが、会社の解散とともに任期を終えた。その、Yさんの「写真展」に招待していただき本日訪ねたのである。

雨の渋谷の街はしっとりと重たかった。5年ぶりの再会に話も弾み、作品を鑑賞して、暮れなずむ渋谷の街を後にして帰路に着く。

39年ぶりの街は、ちょっと歩いただけで違和感と気だるさで疲れた。そして、懐かしさの余り、当時と同じ通学ルートを山手線から代々木経由で千葉方面行きに乗って帰ることとした。

39年前の車窓が目に浮かんでくる。

【原宿辺りにある天皇陛下専用の駅舎を見て、「代々木駅」で総武線に乗り換える。堀に沿って市ヶ谷あたりに来ると、70年に三島由紀夫が割腹自殺した自衛隊市谷駐屯地が見えてくる。その当時もこの電車に乗っていた。大学でニュースを聞いてすぐ、またここを通って家に戻りテレビにかじり付いたことを思い出す。

そして車窓より堀の向こうに雪印乳業家の光会館CBSソニーのビルを見て、のどかな風景をしばらくの間楽しむ。と、いきなりブルーのペンキ塗りの印刷工場が出現する。そして電車は、空中遊泳するかのように秋葉原の町を走り、隅田川を渡る。

「両国駅」はちょっとした、ノスタルジーを覚える房総方面への始発駅だ。線路が複雑に交差していて、中距離列車がいつも入線していた。また、駅ホームの南に隣接してある田島病院は病室の患者までが観通せた。そんな中、しばらく走るとアイスクリーム工場が出現する。いつも熱く稼動していて、下町の熱気を感じさせていた。亀戸、平井あたりに来るとだんだん視界も開け、大きな団地がその存在を主張している。いよいよ長くて巨大な、とても東京とは思えない光景の、荒川、荒川放水路を渡りきると、視界一杯に「大同製鋼」の工場群が見えてきて「新小岩駅」に着く。】

駅前の噴水と長いアーケードの商店街が、古びてはいるが今も下町の空気を醸し出している。この日、一時間半の39年ぶりの体験は、車窓も人並みもセピア色だった。

  

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ドラマティック・コンサート!!

 『高橋アキ・ピアノドラマティック6』コンサートに行ってきました。

090427_1731361 今回は、待望のシューベルトのピアノ・ソナタです。遺作三部作といわれる19番、20番、21番を一夜でタップリ聴かせてくれます。現代音楽の紹介や世界各地の演奏会で活躍の高橋アキさんによる演奏、ということで期待も膨らみます。

 この、最後の3つのソナタは、シューベルトの晩年(31歳)の年に、一気に作曲されました。まるで何か(病魔)に脅迫され、死に急ぐように。

 であるから、であるにも係わらずこの3曲の、12の楽章はとてつもなく美しく哀しく、キラ星の如く輝き、時にため息し、力強くドラマティックに歌い続けます。一夜のコンサートとしては、盛りだくさんで、ちょっとシンドイと言う思いもあり、2時間ほど前に会場に着き、コーヒーを飲んで心を鎮め、ゆとりを持って構えてコンサートに臨みました。ところが、コンサートが始まると、キュートでエネルギッシュな高橋アキさんの演奏に釘付けです。次から次へと沸いてくる「歌曲」のようなメロディーと、軽快なリズムが限りなくつづきます。

  僕にはいつも、19番にはベートーヴェン的一面を、21番はモーツァルト的一面を感じます。そして、あいだの20番には、シューベルトの生死を 彷徨う宿命の葛藤(18歳の時作曲した歌曲『魔王』の呪のような)があ 090427_1832021_6 り、ワグナー、ブルックナーに通じるロマン派の神髄を感じさせます。そして、この3つはシューベルトの神髄でもあり、100年、200年を超えて楽曲を通じて人生を問い、人間を表現する名曲だと思います。

  本日のプログラムからー(一部抜粋)  『結局のところシューベルトにとってピアノ・ソナタとは何だったのだろうか。21曲に番号が与えられているそれらはしかし、生前に出版されたものはたった3曲のみである。おそらくそれは、多くの人々をただ愉しませるためでもなく、ピアノの可能性を追求するためだけでもなく、たとえある誰かのために書かれたものであっても、個人的な問題として作曲されたことを意味するのだろう。その極北にあるのが最後の3つのソナタだ。』

推薦LP:資料提供・SHOP伝承堂

Pa200085 Pa200084     Pa200086_2                               ①ソナタ第19番ハ短調 D.958

②ソナタ第20番イ長調 D.959

③ソナタ第21番変ロ長調 D.960

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昭和の頃⑤ー「明治屋」

昭和50年代の「京橋」は、貝殻を仰向けに返したような、大きな面の街だった。

その京橋の街を地引網のように広げて、東京駅八重洲口の駅ビルが大きく存在をアピールしていた。大丸百貨店を包み込み、幾本もの新幹線を飲み込むように、丸の内側のクラシックな赤レンガ駅舎とは対照的に、近代的な大きな袴の様相で天空に聳えていた。その袴は、永代橋通りや昭和通り、新大橋通りのどこからも眺めることができ、当時は東京の中央区のシンボル的存在だったように記憶している。

この八重洲口からの網は、京橋、日本橋へと地下にも広がり、長大な商店街、駐車場へと蜘蛛の巣のように立体的な街を形成していた。その地下商店街を数百メートル東に永代通りと平行して歩き、地上に上がる。その瞬間に、京橋のほのかなスイーツな香りに包まれる。当時この町には、いつもこうして降り立った。そしていつもそう感じた。銀座から新橋方面に向かう広い中央通りが開放感とともに、京橋の暖かいオレンジの風を運んで来るようだった。

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時には風に誘われて時には風を切って、この中央通を日に何回もタテにヨコに歩き、プレゼンの成否に一喜一憂し、さ迷い、喜びに浸り歩いたことも。アポを取るために、スタッフとの待ち合わせに、時間調整に一日中待機したりして、この町と暮らしていた時も。

昼や夕のオフタイムになると、この町は民族の大移動と豹変する。昼食時のすし屋の席取りや雀荘の予約も我々の仕事の一部だった。何に付け「ちょっとした」ことが、プレゼンの成否に影響すると思っていた。喫茶店の空気は何処もタバコ色、雀荘は深夜まで煙のチェーンだった。タバコの煙もバブルの泡に巻かれていた時代だった。

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昭和50年代ここ京橋界隈でボクも、仲間やライバルも、コピーライターやデザイナーも一喜一憂し、毎日走っていた。喫茶「いこい」で、作戦会議やら仮眠やらで英気を養いくつろいだ。プレゼンに成功したら、明治屋の地下にあるレストラン「モルチェ」でハヤシライス、が我々スタッフのささやかな夢だった。

その「ハヤシライス」は当時も今も、30年変わらぬ味と、同じ価格の、900円である。

※LPレコード資料の提供:SHOP伝承堂

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途中下車!!

皇居・平河門の桜です。(4月7日)

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昭和の頃④-「蓮根」

 久々電車にて営業に出かける。仕事先の財団法人の出張所がある、都営三田線「板橋本町駅」で降りて打合せを済ませ、ちょっと時間が空いたので、ちょっとした思いつきでまた電車に乗り「蓮根駅」まで足を延ばす。

駅に付く頃、急な雨。そして雷。暖冬で早咲きの桜もその後の冷えこみで、咲くまい咲くまいともがいている。

懐かしくて約39年前の街並を歩こうと足を延ばしたのであるが、当時の新聞配達の時の路地・街並は何処に消えたのか。雨の冷たいのと靴下への水の浸入で記憶も甦って来ない。確か18歳の春だった。当時、三田線は「高島平」から来ると「巣鴨」までが開通していて、その先は工事中だった。

 「新小岩」から国電に乗り山手線を半周し、プロモーターならぬブローカーの田代さんに伴われ10歳ほど年上のスガ(菅)さんと共に、ここ「蓮根」の読売新聞販売店を訪ねた。今で云う派遣だ。そして、ここで生まれて初めての住み込みのアルバイトが始まった。そんな思い出の地をいつか訪れようと思っていた。当時、店の奨学生(奨学金で大学に通い住み込みで新聞配達をしている学生)とよく語り遊び親交を深めた思い出や、新聞拡販のヤクザさんを夜に道案内したこと、完成した高島平の団地での一斉の入居・引越しの手伝いに日曜の度に借り出されたことなどが懐かしく甦ってくる。

毎朝午前3時半に起床し、新聞運搬のトラックが到着すると自転車に300軒分の新聞を積み込み、夜明け前の暗闇の町に繰り出すのである。そして夜が明け、「蓮根」の駅周辺に通勤客がチラホラ現れだした頃、配達を終え店に帰る。清々しい朝の空気をいっぱい吸い込んで、心地よい運動の後におかみさんの作った朝食を頂くのである。こんなおいしい体験を、この後、夏に正月に、そして春に何度となくすることとなる。時代は昭和40年代の高度経済成長の真っ只中であった。

しかし今日は、生憎の春の嵐だ。39年前の面影は何処にも無く、桜も重そうに靴も水浸し。結局、新聞販売店第一パンの工場もレコード店も見つからず、日本橋の事務所に帰ることとした。

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やっと!!

やっと!!
まだまだひんやりの日が続きますが−。

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彼岸の中日-

彼岸の中日は雨のち晴れでした。

雨の中を、午前11時頃下総中山にあるお寺に、夫婦でお墓参りに行きました。

帰りは時間が空いたので、すぐ近くにある分譲中のお墓を見学。将来の自分達のお墓をと、建売住宅かマンションを購入する前のような、チョット胸膨らむ想いで。「あー、ここに骨壷を置くのねえ」、「あっ、下にもお部屋があるわ」、「どちらが先に行くのかしらねえ」・・・・・・

その後、カミさんと分かれて、京成電車で「上野」へ、

開演前の、上野公園は快晴でした。ロダンとの対面後、090320_1327011 090320_1325301

東京文化会館小ホールで、待ちに待ったシューベルトの歌曲集「冬の旅」公演が始まります。名バス歌手77歳の”岡村喬生”の歌に、ピアノ伴奏は往年の名ピアニスト、ウィーン三羽烏の一人で80歳になった”イエルク・デムス”です。この労青年二人で、約80分間休憩なしで歌曲集(24曲)を、18歳の失恋した青年の詩を、歌い上げるのです。また、この曲は青年シューベルトの晩年(30歳)の作で、180年前のシューベルト自身が歌った初演の空気を感じながら聴き入りました。

『いい音楽は国境も、時代も、年代も、言語も関係なくいいもの、そして永遠を感じさせるものである。』と思いました。コンサートの後、暮れなずむ都会の町を一時間ほど歩き、充実した休日の午後を満喫して家路に着きました。

●レコード資料提供:Shop伝承堂Pb110053

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続々・昭和の頃ー「三回忌」

  平成も20年が過ぎ21年の3月を向かえた。

僕は最近平成を昭和に置き換えて考えることがしばしばある。無論僕はこの昭和の20年前後は生まれていない。

平成を昭和に置き換えることは、今から60余年も時代をさかのぼる事になる。では、なぜそう考えるかというと、父が一昨年他界し、父の残した書物などを複読したり、父の91年の人生を考えることが多くなったからである。

父は大正5年(1916年)に生まれ、昭和の全部を生き抜き、平成19年にこの世を去った。父の平成時代は病との闘いであり、一方、母とともに昭和を振り返り充実した穏やかな日々の余生であった。

昭和の疲れを癒し、母とともに病とも根気良く上手に付き合い、太陽がゆっくり西空に沈んでいくように去っていった。この2月に三回忌を迎えた。

今、そんな父の生き様と激動の昭和を検証し、これからの残された人生の一つの道標にして行こうと考えるに至ったのである。

【 父が物心のついた9歳に、昭和は始まった。

その頃は、日本の軍隊が大陸に進出し同時に財閥も新たな資源を求めて、いわゆるパイオニア・スピリッツで新しい国づくりへと、国が湧き上がっていた頃である。そんな時代の大きなうねりの中に、父は青春のすべてを注ぐ事になるのである。

昭和20年の頃父は29歳の青年であった。20歳台のそれまでの約10年は、日中戦争の真っ只中で戦いに明け暮れていたのである。

父たちは、南方へ、タイへ、インパールへと進軍し、そして無残な敗走、敗戦を向かえる。タイ国での約1年の捕虜生活のあと昭和21年6月に復員するのだが・・・ 】Photo_3

そして平成の今、21年2月は百年に一度という大不況に見舞われている。なにやら20年秋から政治も経済もチグハグで、世界的恐慌の煽りを受けて、益々先行き不透明の昨今である。

【 昭和のこの頃(20年2月)は、国民がそれまで経験したことがない『敗戦』という一撃を受け、皆がゼロから立ち上がろうとしていた。国全体の気運がエネルギーが、大きなクレッシェンドであった。そして父はこの6月に横須賀港に復員し、新しい自分づくりに、両親も元へと向かうのである。・・・ 】1_2

※資料提供:SHOP伝承堂      1.書籍「昭和 失われた風景・人情」

                   2.DVD「ぬくもりの昭和三十年代」

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