昭和の頃⑩ <本郷界隈>
久しぶりに“本郷”を訪れた。正確に言うと訪れたというより、途中下車により立ち寄ったというのが正しい。
大江戸線「本郷三丁目」駅で乗り換えて、「茗荷谷」方面に出かける途中である。乗り換えはいくつものエスカレーターを交互に乗り継いで、地下6階位から一気に地上に出る。
6年ぶりに交差点の、昔『本郷もかねやすまでは江戸の内』と歌われた“かねやす”辺りに立った。今は新装なった小物・雑貨を売る店となっている。この辺りから、僕が昭和53年から約25年間通っていた道が続く。右に東大赤門を見て、5分程歩いた左側に、勤めていた会社があった。しかし、今はもうない。そして誰もいなくなった。
当時、僕たちはみんな若かった。東大生たちも入り混じり麻雀卓を囲んだり、女子社員や、デザイナー、カメラマン、フードスタイリストといった仕事仲間が喫茶店に集まり、当時はやりのインベーダー・ゲームで何時間も熱く過ごしていた。
この本郷の町は、川越街道を真ん中に馬の背のように伸び繁盛してきた細長い町である。旧加賀藩屋敷の東京大学が、道の北側の右半分を占め、南側はちょっと路地に入ると、無数の坂が放射状に川のように流れ、今でも、啄木や一葉が路地裏から出てきそうな雰囲気を残している。この町は古くから、街道を挟んで左右に、骨付きカルビのように成熟し、発展してきたようにも見える。
カルビの肉たちは競ってお洒落なビルに変わり、街道沿いにはファストフードの店やITショップなどが並んでいる。
駅から大通り(川越街道)に出る30メートル足らずの細い路地に面して、古い雑居ビルの地下1階に「麦」という名曲喫茶が、この日もあった。昭和39年開店というから45年の年月が経過している。当時を思い出して、ちょっと煙たいのを我慢して、地下にもぐり「チキンピラフ」とコーヒーを注文した。
薄暗い空間に煙草の煙と混じって、バッハの「無伴奏チェロ組曲第3番」が流れていた。時間が止まったかのように、20年前、30年前が蘇ってくる。壁には、モディリアーニや青木繁の絵画(複製)や古ぼけたポスターが当時のままである。
一時間余り経過して外に出ると、眩しく、冷たい雨が平成21年のコンクリートを強く叩いていた。
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