2009年12月17日 (木)

昭和の頃⑩ <本郷界隈>

 久しぶりに“本郷”を訪れた。正確に言うと訪れたというより、途中下車により立ち寄ったというのが正しい。

大江戸線「本郷三丁目」駅で乗り換えて、「茗荷谷」方面に出かける途中である。乗り換えはいくつものエスカレーターを交互に乗り継いで、地下6階位から一気に地上に出る。

 6年ぶりに交差点の、昔『本郷もかねやすまでは江戸の内』と歌われた“かねやす”辺りに立った。今は新装なった小物・雑貨を売る店となっている。この辺りから、僕が昭和53年から約25年間通っていた道が続く。右に東大赤門を見て、5分程歩いた左側に、勤めていた会社があった。しかし、今はもうない。そして誰もいなくなった。

 当時、僕たちはみんな若かった。東大生たちも入り混じり麻雀卓を囲んだり、女子社員や、デザイナー、カメラマン、フードスタイリストといった仕事仲間が喫茶店に集まり、当時はやりのインベーダー・ゲームで何時間も熱く過ごしていた。Pb180126_2

 この本郷の町は、川越街道を真ん中に馬の背のように伸び繁盛してきた細長い町である。旧加賀藩屋敷の東京大学が、道の北側の右半分を占め、南側はちょっと路地に入ると、無数の坂が放射状に川のように流れ、今でも、啄木や一葉が路地裏から出てきそうな雰囲気を残している。この町は古くから、街道を挟んで左右に、骨付きカルビのように成熟し、発展してきたようにも見える。

 あれから、また30年、本郷の町はガラリと表情を変えた。 

 カルビの肉たちは競ってお洒落なビルに変わり、街道沿いにはファストフードの店やITショップなどが並んでいる。

駅から大通り(川越街道)に出る30メートル足らずの細い路地に面して、古い雑居ビルの地下1階に「麦」という名曲喫茶が、この日もあった。昭和39年開店というから45年の年月が経過している。当時を思い出して、ちょっと煙たいのを我慢して、地下にもぐり「チキンピラフ」とコーヒーを注文した。Pa200105_2  

薄暗い空間に煙草の煙と混じって、バッハの「無伴奏チェロ組曲第3番」が流れていた。時間が止まったかのように、20年前、30年前が蘇ってくる。壁には、モディリアーニや青木繁の絵画(複製)や古ぼけたポスターが当時のままである。

一時間余り経過して外に出ると、眩しく、冷たい雨が平成21年のコンクリートを強く叩いていた。

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2009年11月27日 (金)

京染。

京染。
京ならではの色の競演、これも京染めです。

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雅な休日ー2

雅な休日ー2
舞妓さんもーお仕事の途中。

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雅な休日ー、

雅な休日ー、
京都に来ました。ちょっと贅沢な二日目の京都は、これからライトアップが始まります。

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2009年11月19日 (木)

街角−秋景色。2

街角−秋景色。2
秋も一気に冬の装いです。
長閑な紅葉狩りも、ゆとりも感じさせてくれない−不安な経済情勢が続きます。

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街角−秋景色。1

街角−秋景色。1

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2009年11月 5日 (木)

すみだトリフォニーホール

<すみだトリフォニーホール>

091017_1843421_2   今年も、秋から年末・年始にかけて音楽イベントが盛んです。

コンサート会場で配布されるチラシも、今では取っ手付きのビニール袋で、ズシリと重く今にも破れ落ちそうです。それでもクラシック愛好家と自称する僕は、重い荷物と覚悟して大事に持ちかえるのです。

ここ、<すみだトリフォニーホール>は、JR「錦糸町駅」から歩いて3分程。隅田川の東にあるコンサートホールでは規模と設備では最大級です。毎月、「新日本フィルハーモニー交響楽団」が定期演奏会を開催しています。

この日は、ドイツの田舎町から来た、「バンベルク交響楽団」の日本ツアーです。ブラームス・チクルスの一夜で、第1番と第4番を聴きました。ジョナサン・ノットの指揮は、堂々としていてエネルギッシュな演奏で、感動と感心と納得のひと時でした。

バンベルクの町はニュルンベルクやバイロイトに近い、ドイツ中南部にある人口7万人の小さな町です。日本では諏訪市か花巻市といったところー、ここにズシリと重い伝統とブラームスの血を受け継いで、何千キロの旅をして我々に感動を与えてくれる。何とも感慨深いものです。

そして、今月「葛飾フィルハーモニー管弦楽団」(アマチュア・オーケストラ)による演奏会で、ブルックナーの交響曲第4番<ロマンティック>が、このホールで演奏されます。何とも不思議な感じです。音楽は、国境を越えた人類の最大公約数かも知れません。

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2009年10月30日 (金)

アイーダ!!

オペラのシーズンです。

DVD書籍などオペラ・ブームも重なって、オペラが身近になりました。

ここ数年海外の歌劇場が「引っ越し公演」と称して、めじろ押しに日本にやってきます。国内でも二期会をはじめさまざまなプロジェクトが進行していて、我々は毎月のようにオペラを日常的に鑑賞できるようになりました。

そこで、久しぶりに行ってきました。091028_1747121_2

プラハ国立歌劇場の<アイーダ>です。

ヨーロッパの歴史ある歌劇場の一つで、地理的にはウイーン、ミュンヘン、ドレスデンに囲まれ、モルダウ川に面して発展した、ハプスブルク王朝による支配や冷戦の中での「プラハの春」を体験したボヘミアの美しい中世の町<プラハ>ーそれだけで、プラハ国立歌劇場の<アイーダ>には魅せられるものが充分でした。

今回の日本ツアーは、イタリア・ミラノの北部の町、<マチェラータ音楽祭>での演出と同じもの、17回の日本ツアーはこの演目のみということです。手頃な価格の3階レフトB席で、ピットの中で髪を振り乱し踊る指揮者、西村智美をのぞき見ながらの鑑賞でした。アイーダ役のミシェル・クライダーを始め実力派の歌手陣が素晴らしく、安心して聴かせる演奏で、オケも合唱も均整のとれたアンサンブルはヴェルディの音楽をたっぷり堪能させてくれました。

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2009年10月15日 (木)

昭和の頃⑨ <中2の朝日は眩しかった>

 山梨の山奥から、ここ江戸川の下町に家族総包みで引っ越してきて、2年が経過しようとしていた。

 その、昭和40年の春は東京オリンピックの余韻もあって、熱く、鉄工所も町工場も朝から稼働し、母親の胎内で夫々が勝手に胎動するがごとく、眩しく賑やかだった。今にも噴出しそうな地中のマグマの様相であった。

街の風景は約半分が、空き地やビニールハウスに覆われた畑などでドブ川や小さな水路によって仕切られ、土を表に現していた。そして残りの半分の半分ほどが住宅及び分譲中の建売住宅で、小集団ごとに不規則に並んでいた。残りの四分の一程が工場で、ほとんどが小さなプレハブ風の事務所に青天井の広い作業場で、大小鉄骨やクレーンが所狭しと朝から躍っていた。町全体が、何かの途中で、やり掛け状態のような感があった。Pb180134_2

僕は晴れて中学2年生になっていた。

詰襟の学らんにちょっと大きめの学生帽と、当時はやりの麻のような生地の、白い軍隊風のカバンを肩から提げていた。

毎朝必ず、隣町『本一色』(ほんいっしき)に住む仲のいい友達で、家が牧場を営んでいる『馬場』君が、時計よりも正確な時刻の、7時25分に迎えに来るのである。

歩いて10分程の学校への道のりは、日雇い労働者たちによく行き交った。街をひっくり返したように道路や建売住宅などの建設現場があちらこちらにあった。時に、別の友達を拾ったりちょっと遠回りをして、土の感触とささやかな季節感を楽しみながら畑の横の小道を経由して行くのである。Pb180143

下町の学び舎も朝日をいっぱい浴びて、大変長閑だった。

そのブームが訪れると一時間ほど前に何処ぞと集合し、小イベントで汗を流し登校するといった些細な出来事があった。

そのブームとは、「ピンポン」だった。春休みに二つ上の兄と共同で、ある工作にチャレンジした。父の指導もあって長期の休みには必ずテーマを見つけ、工作にチャレンジするのが我々兄弟の決まりごとだ。本棚、鳥小屋、レコード収納箱、ギターなどー。最初は、実用的で「欲しいもの」から遊び的要素も取り入れていった。そしてこの春は、卓球台づくりにチャレンジしたのである。設計図を描き組立式の本格的なもので、完成するとたちまち近所の話題になった。

そして新学期が始まると、友達が友達を呼んで中学生が集まるようになり、我が家の前の道路は、登校前の朝日を浴びたミニピンポン大会の会場と化かすのであった。

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2009年9月23日 (水)

昭和のシルエット

昭和のシルエット
ゆとりと風流と、遊び心がありました。

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