昭和の頃ー「神保町界隈」
朝見た新聞広告の「遥かなインパール」という書籍を、ふと思い出し、午後12時に会社を飛び出す。いつもの『書泉グランデ』6階にてその新刊本を手に入れる。新刊本といっても、以前『文芸春秋』で出されていた、幻の絶版本(?)となっていた本の、出版社を替えての再登場である。分厚い本を手に入れて心浮き浮き気分で、神保町界隈を歩いてみることにした。
ここ神保町は僕の社会人スタートの街である。昭和50年から33年の月日を重ね、今は新しいものと古いものとが交錯し、アップリケの刺繍のように連なり、古びたレコード屋はそのままで、間にIT関連のショップや立ち食いファストフードショップなどが整然と並んでいる。
御茶ノ水、駿河台、神保町、三崎町、水道橋と、面のようで線のような、路地に入るとくもの巣に巻かれたように方向を失う、富士青木が原の樹海のような面白い街だ。さらにここは坂も多く、うねった地形が街を立体的に造っている。
『御茶ノ水駅』の辺りは、前後に『聖橋』と『御茶ノ水橋』が神田川に架かり、河岸台地のもっとも高い所である。聖橋からニコライ堂を右に見て駿河台へと下り、そして古本などを見聞し、楽器店、中古専門のレコード屋を覘き、明治大学を左に見てまた坂を御茶ノ水橋方向に上がるといった、よく歩き、よく彷徨い、よく遊んだ街並みだ。
昭和50年23才で、この街からスタートした社会人一年生の当時の生活は、とても眩しかった。
昼は『キッチン南海』のカレー屋、『武蔵野』という洋食屋、天ぷらの『いもや』、牛丼の『たつ屋』に行列し、純喫茶『白十字』や『エリカ』に集い、そして昼も夜も学生に入り混じって、パンチンコ屋の『アイウエオ会館』、『人生劇場』で遊び、また雀荘などで賑わった。
僕にとってこの街は、20代独身の青春を謳歌した街、またメキメキ仕事の面白さも覚えていった街、まるで、開拓全盛時代のアメリカ西部の街を思い浮かべる。
そして30年以上が経過して、懐かしさの余り彷徨っていると、ぎっしり詰まった古びた青春が、レコード屋の2階のダンボール箱からも、『江利チエミ』、『コルトレーン』、『ブルーノ・ワルター』といった、レコードのジャケットが雑然と顔を覗かせていた。
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コメント
昭和の頃シリーズ、読ませていただいてます。
あの時代の大学生の様子、下町界隈やサラリーマンの様子
がむしゃらに仕事に挑む青年の好奇心、関心が興味深いです。
また、その時代の世相や、情景などの描写も懐かしく書かれてて
楽しませてもらっています。
わらべ
投稿: わらべ | 2009年6月15日 (月) 18時14分
わらべさん、こんにちは。
<昭和の頃>シリーズを読んでいただき、ありがとうございます。
昭和を全部活きた父への郷愁と、毎日曜日に聴く母の感傷によって、PCに向かうと、ペン(キーボード)が踊ります。
僕たちも、昭和の置き忘れてきた大事なものを次世代へのバトンとして、もっともっと発掘していこうと思います。
投稿: ターフェル・ムジーク | 2009年6月16日 (火) 13時42分