昭和の頃⑨ <中2の朝日は眩しかった>
山梨の山奥から、ここ江戸川の下町に家族総包みで引っ越してきて、2年が経過しようとしていた。
その、昭和40年の春は東京オリンピックの余韻もあって、熱く、鉄工所も町工場も朝から稼働し、母親の胎内で夫々が勝手に胎動するがごとく、眩しく賑やかだった。今にも噴出しそうな地中のマグマの様相であった。
街の風景は約半分が、空き地やビニールハウスに覆われた畑などでドブ川や小さな水路によって仕切られ、土を表に現していた。そして残りの半分の半分ほどが住宅及び分譲中の建売住宅で、小集団ごとに不規則に並んでいた。残りの四分の一程が工場で、ほとんどが小さなプレハブ風の事務所に青天井の広い作業場で、大小鉄骨やクレーンが所狭しと朝から躍っていた。町全体が、何かの途中で、やり掛け状態のような感があった。
僕は晴れて中学2年生になっていた。
詰襟の学らんにちょっと大きめの学生帽と、当時はやりの麻のような生地の、白い軍隊風のカバンを肩から提げていた。
毎朝必ず、隣町『本一色』(ほんいっしき)に住む仲のいい友達で、家が牧場を営んでいる『馬場』君が、時計よりも正確な時刻の、7時25分に迎えに来るのである。
歩いて10分程の学校への道のりは、日雇い労働者たちによく行き交った。街をひっくり返したように道路や建売住宅などの建設現場があちらこちらにあった。時に、別の友達を拾ったりちょっと遠回りをして、土の感触とささやかな季節感を楽しみながら畑の横の小道を経由して行くのである。
下町の学び舎も朝日をいっぱい浴びて、大変長閑だった。
そのブームが訪れると一時間ほど前に何処ぞと集合し、小イベントで汗を流し登校するといった些細な出来事があった。
そのブームとは、「ピンポン」だった。春休みに二つ上の兄と共同で、ある工作にチャレンジした。父の指導もあって長期の休みには必ずテーマを見つけ、工作にチャレンジするのが我々兄弟の決まりごとだ。本棚、鳥小屋、レコード収納箱、ギターなどー。最初は、実用的で「欲しいもの」から遊び的要素も取り入れていった。そしてこの春は、卓球台づくりにチャレンジしたのである。設計図を描き組立式の本格的なもので、完成するとたちまち近所の話題になった。
そして新学期が始まると、友達が友達を呼んで中学生が集まるようになり、我が家の前の道路は、登校前の朝日を浴びたミニピンポン大会の会場と化かすのであった。
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